1970年から、新商品開発・マーケティングの人材育成のセミナー・コンサルティングと新商品開発戦略、新商品開発システム革新の仕事を続けています。

日本オリエンテーションは、マーケティングをR&Dする事務所です。
考えるヒント:学び合いの場

「遊びとマーケティング」メモ

雨の中16名参加で、19時から22時近くまで、参加者の遊びの経験を通してディスカッションが進みました。参加者のメモも面白いです。

【まつもとかつひで(日本オリエンテーション主宰)メモ】
遊びとは
・遊びとは、心、精神の余裕では。
・遊びには遊び心がだいじでは。
・子どもは遊びの天才では。子どもは日常的にルールを作り、またルールを壊し、新しいルールを創る。遊びとは、新しいルール作りでは。ルールを壊すことが必要では。
・遊びには、粋とか、洒脱とかの要素もだいじになってくる。無駄を大事に。
・偶有性 人間の脳は、どうなるかわからない「偶有性」こそ好む。
大人から見れば他愛ない遊びをする子供達の脳にも、「偶有性」が最大になるようにルールを工夫することが大切。ゲームをおもしろくする工夫。
・体で遊ぶ、知識で遊ぶ
時代によって違うが、「遊び」というものは体を楽しませて遊ぶのと、知識で遊ぶものがある。演者は身振り手振りに歌を組み合わせ、演技で楽しみを見いだすが、見る方は「先代はこうだった」とか知識の蓄積の中で遊ぶ。
・今は遊びが足りない
時間を取り戻そう、男も女も、無理はもうやめよう。物質的な豊かさと引き換えに、私たちは時間を失った。「新たな仕事文化」によって時間を取り戻そう。
「熟考するための時間」「語り合うための時間」「遊びのための時間」「怠けるための時間」そして「愛するための時間」を。
・むずむず
原っぱと遊園地の違いは、遊園地はあらかじめそこでやることが決まっている、これに対して、原っぱはあらかじめそこでやることが決まっているのではなく、そこへいってそれから何をして遊ぶかが決まる。
たまたま集まったメンバーが紡ぎ出す行為の糸が、やがて互いに絡まっていく。その絡まりをデザインするのが巧い遊び手の技。
・フラメンコも、踊り手、歌い手、楽器のルールがあるが、乗ってルールを破った時に、みんなが合わせてくる。遊びの面白さでは。ジャズのアドリブなども遊びでは。
・私は、通勤時に3本の木を持っている。各々の木に、元気と声を掛ける。歩いている時に、おもしろい石を集めている友人がいる。以前事務所で100人ぐらいの企業の人たちが参加した、花見の会とか、月見の会なども遊びだったのでは。
企業と遊び
・企業、仕事においても遊びの効用が言われている。ルールを壊すことによって、仕事の取り組みが変わってくる。グーグルなどの外資系の企業では、キャラクターのモノを周りに置いたり、犬がいる企業もある。既存の概念を壊す働きもあるのでは。経営のコツ9カ条(リーアイアコッカ)、遊びの場の広さを決めておけ もある。
・ホンダらしさ
トヨタを目指しても本家にはかなわない、ホンダ神話の源泉の「遊び」がなくなるおそれもある。
・遊び心の成功
スイスのスウォッチはイタリアのデザイン会社やデンマークのがん具企業のレゴと提携し、遊び心豊かな時計で世界市場を席巻した。
人と人とがコミュニケーションを楽しめる遊び場が有望。
・もっと商品に遊びを取り込んで欲しい、提案をして欲しい。

【高橋正二郎(日本オリエンテーション客員研究員)メモ】
・「よく学び、よく遊び」といわれるが、学生時代の勉学、スポーツ、アルバイト、ボランティア、営利事業、遊び、・・・、何でも一生懸命やったことは仕事の場面でも等価変換されて大きな力になる。中でも遊びの威力は絶大だ。スポーツはやらされでも成立するが、遊びは圧倒的な「能動力」が必要だからだ。
・個人の道楽は中途半端では終われない厳しさがあるが、商品として提供する遊びは適当なユルサがないと価値にはなりにくいと思われる。
・ユルサといえばユル・キャラが思い浮かぶ。横浜DeNAベイスターズの新キャラ「スターマン」は先代のホッシーよりかなりのユルサがあり人気が出ると思う。因みに物議を醸した「せんとくん」は、東京芸術大学大学院教授で日本を代表する仏師である藪内佐斗司氏の制作による正気の芸術作品なので、ユルサがほとんどない。
・遊びを極め、凝りに凝った商品は1000人程度のお客さんはいると思われるが、1000人程度では出会うことが極めて難しい。「ニーズはあるが、市場にならない」という例か。
・フランスの思想家カイヨワは、ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』に感化され『遊びと人間』を著し、書中で遊びの要素として以下の4つをあげた。
競争:スポーツに代表される速さ、高さ、強さ比べ。ゲームやクイズという知力比べもある。
偶然:くじ、じゃんけん、サイコロなどの偶然性を利用したゲーム。丁半バクチなどの賭博。
模倣:演劇、モノマネ、ごっこ遊び(ままごとごっこ、仕事ごっこ?)
眩暈:メリーゴーランド、ブランコ。(お化け屋敷、絶叫マシーンも含むと考えたい)
これらの4つの要素は、商品の評価や企画の点検で、遊びの要素が含まれているかどうかのチェック・リストとして利用することができる。
・カイヨワが『遊びと人間』を著したのは1958年のことで、ネットやパソコンはおろかテレビ放送が始まったばかりだ。4つの内容を今様に書き換えてみるのも一興だ。
・ゲームが大きな市場を形成しているが、チェス、ブリッジ、囲碁・将棋、麻雀などに並ぶ、文化財として後世に残るものが果たして出るだろうか。

【参加者のコメント】
<Aさん>
子供の頃は身の回りのもので無意識に遊ぶことが出来ていたのに、大人になると、お金やツールを使って非日常を作り出し、無理をして遊ぼうとしている…
その中で、「ルールを変えることが遊び」という言葉が印象的であり、大人になることで自らルールをつくり、その型の中でしか考えられなくなるため遊びが下手になってしまうものなのかも知れないと考えさせられました。
遊びにおいても、商品企画においても、当たり前に思って慣れ親しんでいるルールを壊すことが新しいアイデアにつながるということを、今回参加して気づくことが出来ました。
<Bさん>
<記憶に残ったキーワード、ディスカス内容等>
「遊びとは、日常の逸脱、ルールをはずすこと」
「道楽=遊び。やめちゃえば楽なのにやめられない=ヤミツキ」
「どこまでが遊びか?⇒スコアや成果を気にしたら遊びではないのでは。」
普段の自分の行動は、遊びなのか?自分がどのくらい遊んでいるのか?仕事にどのくらい"遊び心"を持っているのか?
もしかすると、商品に対して勝手に作ってしまっているルールがあるかもしれません。そのルールをはずすようなアイディアは遊び心をもってしか出ないのかもしれないと思いました。
<Cさん>
人それぞれなのか、世代的に違いが大きいのか、遊びという考え方の角度が異なっており、面白いと思いました。
遊びは日常というルーチンから脱却した非日常であり、だからこそ、日常とは異なる世界(ルール)の創造があるのだろうと思いました。ただ、遊びの制御の難しさ(度を越す 等)ということに関しても、考えさせられました。夢中にさせる仕組みづくりも重要だが、コンプガチャなど考えると、こちらの度も越していけないとも思いました。
<Dさん>
1.子どもは自分たちでルールを作って遊ぶ
遊びとは、本来自分たちで考えて作っていたコトなのに、いつの間にか、与えられる(お金で買う)コトになっているように思える。しかし、今回の場で、大人も自分たちでルールをつくるところに楽しさを見出しており、年を重ねても遊びの本質は変わっていないのかなと感じた。
2.大人は楽しさに理由付けをする
子どもの頃は、"遊び"と"楽しさ"が直感的、直線的に繋がっていた気がする。大人になると、"遊び"と"楽しさ"の間に「友達と共有できる」「FBにアップできる」「非日常を満喫できる」といった理由付けが存在し、実はそれが重要なのでは?
3.大人は、遊ぶと楽しむの関係には時間的な要素が加わる
子どものようにその場を遊ぶだけではなく、大人は「遊ぶことを計画することを楽しむ」、「遊んだ後に誰かと共有することを楽しむ」といったように、遊ぶコトと楽しむ場面に時間差が生まれている、又は一つのコトで何度も遊ぶ人がいる
<Eさん>
帰り道「遊び」についてもう一度あれこれ考えてみました。 思い至ったのが、遊びって「本業ではないけれども一所懸命になれるもの」 と言うことです。
思えば学生時代、試験前になると無性に本が読みたくなったものです。 試験期間中にもかかわらず時間も忘れて読みふけっていたこともあります。 不思議とそんなときに読んだ本のことは今でもよく覚えています。 初めてマッキントッシュのPCを手に入れたときは、どんなに仕事で遅くなったときでも 夜中までモニタとキーボードにかじりついていました。 仕事に疲れていても全然眠たくならないんですね。 どんなに仕事が好きであっても仕事である限りそこには「義務」と「責任」が つきまといます。「義務」や「責任」から解き放たれることが「遊び」の条件ではないかと感じます。 だからこそ純粋に「楽しみ」を追求できるんでしょうね。
<Fさん>
・「粋」「洒脱」苦しさを見せない
・「慣れたらダメ」感動を新しく再構築していく
・「ルールや制約を外して」 ゴルフでスコアをつけない
・「フラメンコヨーグルト」 熱いヨーグルト?バレンシアオレンジのヨーグルト?