第14回「学び合いの場・感動体験の開発」10月2日(火)
9人の少数参加でしたが、議論は深く百出で、濃かった。
【まつもとかつひで(日本オリエンテーション主宰)メモ】
感動はすぐメモしないと、消えてなくなってしまう。消えてなくなってしまいました。今回は参加者のメモでカバーされていますので、まつもとはキーワードのみ。
生活DELIGHT、満足から感動へ、当たり前から驚きへ、真面目からこだわりへ、コト開発からモノ開発へ、自然との回路を開く、サービスからホスピタリティーへ、難しいから出来たへ、感動から感動・共感へ
【高橋正二郎(日本オリエンテーションSDP研究所 客員主席研究員)メモ】
●「腰が悪くて掃除機を使って掃除ができなかった母がクイックルワイパーのお陰で掃除ができるようになった」というお手紙が花王に届いたそうだ。【モノへの感動の例】
●感動体験は、モノからの感動よりコトの感動の方が多い。以下、それぞれの感動体験。
・親になると親のありがたみがわかってくる。
・福神漬を残したら、お店では次回から福神漬を盛り付けから除いてくれた。
・引越しの整理の時に出てきた古い姉の絵日記に自分の誕生のことが記されていた。
・標高の高い山の上でのご飯の味を確かめるため、山登りをしてご飯を食べてみた。
・出張先のパリでビジネス相手のユダヤ人宅に招かれ、異様な雰囲気の会合に驚愕。
・初めて担当した商品が店頭で並んでいるのを見たとき。
●周囲とは違う扱い、特別な関心、というところから感動が発生している。
・感動を呼ぶサービスは個別対応されたカスタマイズによるものだが、単純なカスタマイズではなくホスピタリティが伴っていて感動につながる。
・絵日記の中の自分の誕生の記述は、自分の対する関心の高さ、周囲のもつ特別な眼など、改めて自分が大切に受け入れられていたことを知った。
●感動するには一定の体験や知識が必要。商品の感動もターゲット毎に感動の質や程度が違ってくることになる。また、感動へ導くためのメッセージも度の過ぎない範囲で有効に働かすべきだ。
●商品の感動は、メーカーが提供した価値をお客さまに感じてもらう共感になることから、提供した価値を満足として感じられる商品設計とそれ伴うメッセージが必要。
●感動はマヒするのでさらに強い感度が必要になり、際限がなくなる危惧がある。感動の開発や強化は極めて難しいので、感動の使い捨てにならないような持続や継続の工夫が求められる。
●できないこと、あきらめていたことへの手助けや解決が感動につながる。
・現在は諦めざるをえない状況にあるものへの手助けや解決は、既に喜びを知っているものへの対応なので訴求のメッセージは届きやすい。
・例えば、膝の悪い人への解決策として目指す方向は、「ダンスができる」、「高尾山で紅葉を堪能」というように、それによって「可能になる楽しみ」を目指すべきだ。
●歳をとってきて感動が鈍ってくるので、感動喚起の刺激が必要
・感覚は50歳を過ぎるころから鈍化する。女性に比べて男の方が顕著。
・程よい刺激を続ければ、鈍化は防げる。
・「感動は認知症対策に有効、感動を高めるには刺激が必要」などという安直な三段論法的なマーケティングではうまくいかないだろう。
●男より女性の方が感動していることが多い。
・人生における通過儀礼やインシデント(個人的出来事)は女性の方が多い
・男は垂直ヒエラルキーに組み込まれることで安心できるが、女性は非常に多くの人と水平的な絆や柵(しがらみ)の中で暮らすことになるので、当事者と同じ立ち位置に立っての同感、同情ができる。
【参加者のコメント】
<Aさん>
今回の眼目は結局は「気付き」だったような気がします。
飲食業やホテル、旅行などのサービス業は、小さな気付きで満足していただけるようなサービス(名前を覚えていてくれる、カレーの薬味の福神漬けをのせない(笑))などを提供しやすいのに比べ、製造業に関わる食品や化粧品などの商品はこのような個別のお客様に対して「気付き」のサービス提供しにくいものだとの話もありました。ただ、この後、手にとって見られる商品についても「気付き」のサービスは提供出来るのではないかと思いました。事例としてはユニバーサルデザインに関わる事がその一つではないでしょうか?視力の弱い方のためのもの、聴覚の弱い方のためのもの、見なくても、聞かなくても使えるものなど、生活環境弱者の商品がそれに該当するものと思います。要は目に見えないサービスであろうがなかろうが、お客様の事をどのくらい思いやれるかと言う事に尽きると思います。
自分達の立場を正当化するための
・それじゃ、工場のラインを変えなければならない。
・コストがかかり過ぎる。
・売れるかどうか分からない。
・そのような商品の前例がない。
など、やらない理由はいくらでも挙げられます。
その中でどれだけ頑張れるかにかかってくるような気がします。組織の中で「気付き」を商品に出来る社内環境が望まれますが、狭量な上司の下でどれだけ頑張れるかがやさしい商品を生み出せるかどうかにかかってくるものと思います。右脳を鍛え、左脳をフル活動させ頑張りましょう!!
<Bさん>
昨日はとても濃密な議論を重ねることができ、充実した時間を過ごせたことに非常に満足しております。議論を通じて感じたや気になったことを、以下に記します。
・ホスピタリティが普遍的になると感動は減退するのか?
・現代日本社会におけるサービスや消費財の至適共感パーセンテージはどの程度か?
・研ぎ澄まされた完成形に近い感動が求められすぎており、今後は逆に歪さや無骨さの中の感動へとシフトチェンジするのではないか?
・年を重ねるにつれて右脳が発達し左脳が退化するならば、ロジカルシンキング族は年々感動が減退し妄想族は年々感動が増強していくのか?
<Cさん>
成熟化社会においてマーケットを拡大していくことは大変困難だと感じていました。しかし、進化した技術に人情や思いやりといった人間らしさを取り戻す要素を取り込むことでビジネスの可能性はまだまだ広がるのではないかと思いました。
<Dさん>
先日は、「学び合いの場」に参加させて頂き、とても有意義な時間を過ごさせて頂きました。全く別業界、幅広い年齢幅の方々と、話せる機会は滅多に無いので、とても貴重な機会を提供して頂いたと思っています。では、「感動体験開発」の感想を送らせて頂きます。
●感動が生まれるきっかけの一つは、「ギャップ」。
・想定していないこと、期待していないことが起こることにより感動が生まれる(サプライズ型)
例)たまたま入った飲食店がとても美味しかった。
掃除機がかけられなくなった高齢者がクイックルワイパーにより掃除ができるようになった。
海外で異文化に接すると、感動することが多い。これは、自分の国との風習とギャップだらけだからではないか。
●感動の特徴
・情報量は「程良い」が感動が生まれやすい。ある事例について、前情報が多すぎても感動は失われるし少なくても感動できない。
例)旅行先の下調べをしすぎると、現地で新たに感じ取れることが少なくなり感動は弱まる。しかし、全く知らないと、感動があることにも気がつかない。
今回、自分なりに、改めて感動について考えてみると、「親」のことが思い浮かびました。自分も2歳の子供の親ですが、子供を通して両親の自分に対する思いを感じさせられます。「両親もきっと、こんな思いで、自分に接してくれていたんだな、と」。子育てをしてみて、色々な情報を得て、初めて気付かされた感動でした。
<Eさん>
大変「中身が濃い」時間でした。ありがとうございました。
「感動と共感について」
感動の源を大きく2つに分けてみました。(意図的ではない)(意図的である)
二つの感動の源から「感性」がOUT PUTされていると仮定します。共感は感動の源からOUT PUT された「感性」が第3者にIN PUTされたときに、同じ感動を感じることが出来れば「感性の同期化」がなされ「感動価値」が共有されたと事になります。
(意図的ではない)
「自然風景」⇒感動が創作を呼び起こすケースもあります。(芸術家)
「自然STORY」⇒感動が創作を呼び起こすケースもあります。(映画化 ビジュアル化)
*単純に「美しい」「嬉しい」という個人的感動が最も多いのではないでしょうか。また、人は感動を覚えると「伝えたい」「表現したい」という本能があるのだと思います。この行為は「意図的」な「物」や「事」に創作変換されてその「感動価値」を第3者に伝えようとします。そして伝わったときに「感動」の「共感」がなされた事になります。PRODUCT OUT 的な「物作り」です。例えば最近の映画でいえば、自然STORYが映画化された「最強の二人」でしょうか。
(意図的)
「物」(機能 味覚 視覚 聴覚 デザイン)⇒物に付随して発信している「感動価値」が相手に伝われば「共感」となります。
「事」(目に見えないサービスやホスピタリティー)⇒事に付随して発信している「感動価値」が相手に伝われば「共感」となります。その価値の質と量で「価格」が決まります。
商品は「物」と「事」の複合的な要素を持つと思います。商品と消費者が共感するという事は
{作り手感動*(「物」+「事」)}=(消費者の感動*(「物」+「事」}
ではないでしょうか?考えれば考えるほど深くなる「感動」と「共感」でした。